建人 たてんちゅ ~シマの明日をつくる人~
沖縄生まれ、沖縄育ちの建設会社にしか創れないものがある。
 
エメラルド色の海。どこまでも青い空。人々のおおらかな笑顔。
変わらない沖縄がある一方で、街並みは近代的な発展をとげ、人口は増え続けている。
けれど、このふるさとの未来を考えたとき、気がかりなことがある。
ハイテクなビル群の裏側で、建替え期を迎えた建物が手つかずのまま残されていること。
今なお、内地からの企業に建設事業の多くを頼っていること。
建設に携わる人材が減り続けていること。
5年後、10年後の沖縄のまちは、どうなっているのか?誰が、作っているのか?
もう、「誰か」に任せてなんていられない。
沖縄のために汗を流すことを使命とし、新たな価値を創り出すことを無上の喜びとする。
そんな「建人(たてんちゅ)」たちが、ここにいる。

 
その進化は、業界の常識に背を向け、「お客様」を明らかにすることから、始まった。
那覇市小禄。賃貸マンションの一角にこぢんまりとオフィスを構えるこの会社が、今や沖縄県中の建設業界から注目を集めている存在だということを知る人は少ないだろう。
大鏡建設は、2010年、2012年には、沖縄県内の賃貸住宅販売戸数でナンバー1になった。事業を賃貸向けの共同住宅に絞り、派手な宣伝もしないまま、ほとんど口コミとリピーターだけで業績を伸ばしてきた。
ではなぜ、そんなことが可能だったのか。
公共工事にたよらない経営を。
 1975年(昭和50年)9月。大鏡建設は、浦添市で創業した。内地の大学を出て、内地の建設会社で経験を積んだ平良武雄(現会長)が36歳のときに独立した。公共工事で実績を重ね、着実に成長。県庁、とまりん、県営団地なども、実はその頃の当社の作品の一つだ。
しかし平良は、いつしか漠然とした不安を感じるようにもなっていた。「このまま公共工事に依存していて、将来大丈夫なのだろうか?」。さまざまな勉強会に参加した結果、取り組み始めたのが、賃貸用の共同住宅を企画・建設し、丸ごと1棟販売するという、当時の沖縄ではまだ珍しいビジネスモデルだった。
お客様を明らかにする。
 かつての建設業界、特に公共工事をめぐっては、「談合」というダークなイメージもつきまとっていた。この点も、平良が公共工事からの脱却を考えた理由のひとつだった。
そして2004年(平成16年)、平良の勘は的中する。沖縄県で大規模な談合事件が発覚。そのあおりを受けて、公共工事が激減し、業界各社は悲鳴をあげた。
だが平良はそんな状況をチャンスととらえ、ある決断をする。「公共工事をすべてやめ、民間工事一本で生きていく」と。
その覚悟が、劇的な進化をもたらした。
それまでは「公共」という漠然としたもののためにモノづくりをしてきた。クレームが来ることも、逆に、面と向かって喜ばれることもなかった。だがこれからは違う。自分たちの「お客様」が誰なのか。それは、共同住宅のオーナー様であり、入居者の皆様だ。お客様が明確になれば、やるべきことも明確になる。あとは、「やる」か「やらないか」だけだ。
お客様視点を徹底する。
 その頃、平良修一(現社長)が、社内改革の先頭に立った。規格化されていた間取りを白紙にし、徹底的に入居者の目線に立った間取りや設計を推し進めた。同時に、賃貸管理部門を発足。入居者の募集から物件管理、勉強会の開催まで、オーナー様を一貫してサポートするようにした。
結果も劇的に現れた。業績は急上昇。だが最も変わったのは、社員の意識だった。建物の品質から入居者のご満足まで、すべての責任を大鏡建設が持つようになったことで、全社員のベクトルが一つになったのだ。
「すべてはお客様の笑顔のために」。
そして今、この瞬間も、営業から設計、施工へと、お客様の心を見つめたモノづくりのリレーが行われている。
 

「建物」の前に、「信頼」を作っていく仕事。
   
土地や建物といった不動産は、使って初めて価値が出る。だからこそ、耕作できなくなった農地の利用法や、老朽化が進む家やアパートの今後を悩んでいる人は多い。そうした地主さんたちが、当社営業の「お客様」である。
まずはお客様のお話にじっくりと耳を傾け、お持ちになっている土地を分析する。広さ、形状、立地。建設可能な建物の規模を検討し、総工費、借入金、家賃の設定、利益などをシミュレーションしてゆく。
不動産、金融、税金など、幅広い専門知識が求められる仕事だ。だがそれ以上に必要なのは、誠意。1棟の価格は、安いものでも1億円はする。お客様にとっては人生をかけてのプロジェクト。お付き合いは真剣勝負だ。流暢なだけの営業トークや、「新人だから」という言い訳は通用しない。お客様のためにどれだけ知恵を絞れるか、汗をかけるかが試される。
プランニングは、お客様に納得していただくまでに数年の時間がかかることもある。契約後も、設計や工事の重要な局面には必ず立ち向かう。ピンチが訪れることもしばしばだ。ご近所からのクレーム。工事現場からの不発弾…。そのたびごとにお客様に寄り添いながら、走り続ける。会社のためや自分の成績のためではなく、お客様のご満足というゴールに向かって。
つくづく思う。我々は、建物だけを作っているのではない。信頼を作っているのだ。




制約の中の自由が、自分にしか描けない線を生む。
   
 大鏡建設の設計に、「規格」はない。一般的には、アパートやマンションなど、共同住宅を得意とする建設会社には、「当社の間取りはこれ」という規格が存在する。そのほうが、設計作業が速いからだ。しかし我々には、スピードや効率よりも大切なものがある。
「規格」はないが、「制約」はある。お客様が所有する土地の形状は千差万別だ。複雑な形の土地、狭い土地、傾斜がある土地。会社に「規格」があれば、「この土地は無理です」と断ってしまえるだろう。だが我々には絶対に断れない。断りたくない。目の前のオーナー様と、いつかそこで暮らす入居者様のために、知恵と経験をフル稼働してプランを提示する。
自然と、個性もにじみ出る。同じ会社の、同じ2LDKなのに、設計者によって、微妙な違いが出てくる。普通の会社なら、許されないことかもしれない。でも、それも含めて、大鏡建設らしさなのだと思う。
入居者アンケートは、我々の仕事に対する通知表だ。喜びの声はもちろんうれしい。自分たちの設計者の思いが伝わっている実感がある。だが、不満の声がいただけることもラッキーだと思う。不満の声は、新しいニーズと同じ。次の設計に活かすことができる。
案件の幅も広がってきた。病院、老人ホーム、企業の流通センター。だが基本は変わらない。イメージするのは、そこを使う、お客様の笑顔だ。




人のために、人と作る。建設業は、サービス業。
   
 長い工事がようやく完了したその日、オーナー様に鍵をお渡しする。すべてに目配りをしてきた現場代理人が、ようやく安堵する瞬間である。
まだ何も始まっていない土地を初めて見に来たのは、半年以上前のこと。土地の形状や近隣の状況を確認し、重機車両の進入路に目星をつける。そして、仮設計図と施工図の作成。資材の発注。協力業者の手配。自らの手で作るわけではないが、工事が始まる前から一貫して工事現場の指揮をとるのは、現場代理人だ。
型枠大工、鉄筋工、衛生設備工。現場に集まる職人は、毎日15名から30名。1つの現場は、のべ数千人の職場でもある。現場代理人はその1人1人の動きに目を配り、声をかけ続ける。危険はないか。指示が正しく理解されているか。仕事は丁寧か。目の前の職人たちの心と、その先の工程を見つめながら、互いに協力しあえるチームを育てていく。
人は誰でも、間違う生き物でもある。ミスや不備を見つけ、修正するのも、現場代理人の大事な仕事だ。オーナー様から新たな注文が入れば、工事の途中でも柔軟に対応する。
そうして、紙に書かれていた絵が、形になっていく。その過程を最初から最後まで見ることができるのは、現場代理人だけ。いや、作って終わりではない。その後も、入居者からの要望で補修に駆けつけることもある。まさしく、サービス業。だが、関わる人の数が多いだけ、やりがいも尽きることはない。

沖縄の未来のため、今、人を育てたい。
 
私が入社したのは、平成12年(2000年)。会社がうまくいっていない時期だった。先が見えないことが、怖かった。でも今は思う。あの頃に培ったものが、今活きていると。
売上が落ち込んでいた。なぜ売れないのか、わからなかった。だがあえて公共工事をやめたことで、気がついた。誰を相手に、何を売るのかを、見失っていたのだ。答えを探すためにみんなで勉強を始めた。チラシの作り方、見学会の中身、間取り、家賃。すべてを変え、賃貸管理部門を立ち上げた。
お客様のことを考えて仕事をする。当たり前のことだ。でもそれまでは、建てればいい、という意識しかなかったのだと思う。当たり前のことを徹底するようになったら、お客様に選んでもらえるようになった。
 会社も同じだ。人を大事にしないと安心しない。伸びない。
ところが今の沖縄の建設業界には、人材が不足している。とりわけ技術者が。でも人を育てるには時間がかかる。だから今、できることから始めたのだ。新卒の採用、教育。中学生むけの授業。「3K」「談合」といったイメージを払しょくするのも私の仕事だと思っている。
でも、私一人では変えられない。だから、待っている。私たちが生まれ育った沖縄の未来のために、立ち上がってくれる若い力を。



建てるやりがい、創るよろこびを求めて。まだ見ぬ建人たちよ、立ち上がれ。
 
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